宇都宮はなぜ餃子で有名なのか 200527
餃子が好き
僕は餃子が好きです。宇都宮ってどうして餃子で有名なのだろう、ということはこれまでの人生の節々で気になっていました。都度都度調べていましたが、色々な説がある。これからも餃子は食べていくだろうし、宇都宮がなんで餃子で有名なのか知っていたら楽しいかなと思い、
秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし ~宇都宮餃子はなぜ日本一になったか~(小学館101新書)
という本を読みながら調べてみました。下記、書評書きました。
宇都宮=餃子のイメージができあがるまで
起源
戦争と植民地開発
気候
餃子の材料の調達
皮となる原料の小麦粉は日本製粉の工場があったため調達がしやすい。野菜や豚肉は第14師団の司令部が誘致されたことから生産が活発化したのだ。特にニラは日本での生産量も1、2位をキープしている。
機械化のよる大量生産
人の力が宇都宮=餃子のイメージを築き上げる
以上のような要因が重なり、宇都宮市民の中で餃子の消費量は増えていったのです。しかし、人々はその事実に気が付いていませんでした。ではなぜ気が付いたのか。
宇都宮市の中で政策研修が定期的に開催されており、行政課題への対策を調査研究し、発表するという活動を行っていました。”宇都宮市の知名度が低い”というのは課題の一つ。平成2年、ある職員が宇都宮市の餃子消費量が日本一であることに気が付くのです。この統計データは総務省の家計調査、昭和62年に餃子が対象項目をして追加されたばかりでした。
官主導で餃子で町おこしをしようとう動きが宇都宮市の中で少しずつ起こりました。餃子店がもともと多かった宇都宮では民も巻き込み、官民共同で餃子による町おこしがはじまったのです。当時はラーメンで町おこしが行われていた事例がありましたが、バブル経済がはじけ人々の関心はB級グルメへと向いていったのでした。
餃子マップの作成や新聞やテレビなどのメディアでの情報拡散、餃子会の発足、餃子情報館の開設、餃子祭りの開催、商標登録の実現、東京への進出、餃子像の設置などなど様々な施策が苦難な道も超えながら実施されていき、宇都宮=餃子というイメージが形成されたのでした。
まとめ
戦争や植民地施策、気候、機械化の進展、企業の立地、食材の調達のしやすや、などさまざまな要因が重なって宇都宮市では餃子がソウルフードとして根付かれていました。宇都宮市の中で実施していた行政課題に対する政策研修があり、その中で抱えていた”宇都宮市の知名度が低い”という課題を抱えていました。総務庁が用意したデータに出会い、宇都宮市の餃子消費量は日本一だということに気づいたことで餃子による町おこしがはじまったのです。そして、人々の熱意と実行力で宇都宮=餃子のイメージができたのです。
餃子と宇都宮に向き合うだけでここまで色んなことを知れるのは面白いですね。
きっと眠っている資源はたくさんあると思うのです。そこに気づいて、信念をもって取り組むことができればこんな大きなことにつながるのですね。自分の人生にも生かせる知見でした。
(執筆時間:30分)